中島飛行機生産機


 我が社の前身である富士重工業の基礎となった中島飛行機の全生産機について調べてみました。
 横須賀工廠とあるのは中島飛行機創業以前に当時の中島知久平海軍機関大尉の手による機体なので掲載してあります。
 また、他社が設計した機体を中島で製造したもの、および中島で設計した機体を他社で製造したものもあります。
 なお下表に示す生産機数は社内外とも各種資料があり正確さはイマイチです。参考値としてください。
 本表は機体ごとの概要を簡単に記述しているので、詳しく知りたい方はインターネットで検索することをお勧めします。
 概要説明では竹中恭二さんのホームページ「古典航空機電脳博物館」で富士重工業(株)が40年間に渡って発行した「名機カレンダー」が載っており、小池繁夫さんの精緻な画像と鳥養鶴雄さんの流麗な解説は素晴らしいものです。「古典航空機電脳博物館」は「友の会」ホームページの「リンク」からご覧いただけます。
 同じく「会員広場」から「世界名機カレンダー40周年」をクリックすると一覧をご覧になれます。「会員広場」からは「疾風」雑記メモ、中島知久平の夢「富嶽」もご覧になれます。
 順序は概ね年代順ですが初飛行や制式採用がずれたり各型の開発がまちまちだったりしているのでご参考としてください。

0 記号 制式名(試作名) 社内名 中島 他社
1 1913 日本海軍式水上機(海軍第8号) 横須賀工廠 1  本機は中島知久平機関大尉の主務で設計された最初の国産機で、大正2年秋に完成し「日本海軍式水上機」と名付けられた。カーチス式とモーリス・ファルマン式を折衷したもの。
2 1914 横廠式中島トラクタ水上機 横須賀工廠 3  中島機関大尉は、日本人設計による最初の牽引式(トラクター)複葉水上機を計画し、ファルマン式およびドゥペルデュッサン式を参考として設計、大正4年2月に1号機を完成し試験飛行で離水直後に墜落大破したが、その後2機製作された。。
3 1914 横廠式試作双発水上機
(魚雷投下機)
横須賀工廠 1  中島知久平が主宰した魚雷投下機で複葉双発双浮舟、我が国初の双発機だが操縦できるパイロットがおらず、水上試験のみで飛行しなかった。
4 1915 横廠式ホ号乙型 横須賀工廠 2  さきに試作した横廠式中島トラクター水上機の経験に基づき中島機関大尉はさらに翼を長大にした、偵察のほか爆撃の任務をもつ実験機を、大正5年1月に2機試作した。ホ号とは当時の試作機につけた名称で、研究用として使われ、7年6月横廠式ホ号乙型と命名された。乗員2名、動カサルムソン2M-7水冷式星型7気筒200HP(S.L)またはプジョーV-8水冷式V型8気筒200HP(S.L)、木製2翅プロペラ、全幅21.00m、全長9.60m 、最大速度96km/h、航続時間11n。
5 1918 中島式1型複葉機 1型 5  発動機は当時最強のサルムソン200HPを採用し、主翼が非常に長いのが外形上の特徴であった。大正8年および9年に、発動機をプジョー220HPに強化したものが、さらに1機ずつ製作され、合計4機が完成した。
6 1918 中島式3型複葉機 3型 1  中島知久平が海軍時代に設計した横廠式ロ号甲型水上機の主翼尾翼を採用し大正7年12月に完成した。東京、神戸、高崎などで披露した初の成功機。エンジンは中島式1型と同じ米国製ホールスコット125HP。
7 1919 中島式4型複葉機 4型 1  悪戦苦闘の創生期の中で中島式四型6号機が完成した。1919年、第一回懸賞郵便飛行競技が東京〜大阪間で行われ、輸入機に対抗して、中島式四型機が3時間18分で飛び、賞金を獲得すると同時にその優秀性を世に知らしめた。陸軍この機体を大正9年所沢で試験飛行を行い好評価を得た。
8 1919 中島式5型複葉機 5型 17  民間機としては17機が生産され陸軍にも制式採用された。
9 1919 中島式5型練習機 5型 101  日本人の設計した飛行機として初の民間企業への発注となり中島式5型として制式採用となり101機の生産を行った。*初の陸軍制式採用
10 1919 中島式6型複葉機 6型 1  5型の性能向上。大正8年8月
11 1920 横廠式ロ式甲型偵察機 横須賀工廠 106 112  横廠時代の中島知久平の協力者馬越喜七大尉の設計、複葉双発双浮の海軍複葉初の量産機。エンジンはサルムソン140?。
12 1920 中島式7型複葉機 7型 1  5型と6型の長所を採用して製作した。大正9年2月
13 1920 陸軍ニ式滑走練習機 15  甲式1型練習機(Nieuport81E2)の主翼を小さくして飛べなくしたもので陸軍補給部と中島で合計15機作られた。
14 1921 甲式3型高等練習機 Nieuport24C1 77  大正6(1917)年にフランスから陸軍が購入しニ式練習機と呼ばれていたが大正10(1921)に甲式3型練習機となり陸軍補給部、陸軍砲兵工廠、中島でも102機生産され、これらは民間にも払い下げられ航空創成期に貢献した。エンジンはルローン80HPと120HP型がある。
15 1921 甲式4型近接戦闘機 Nieuport29C1 608  当時のフランスの代表的戦闘機ニューポール29C1に対する日本陸軍の制式名称で、甲式はニューポール社を意味する。当初陸軍が100機輸入して、その後陸軍砲兵工廠と中島(608機)で生産し陸軍として初の大量生産の戦闘機となった。発動機にはイスパノスイザ水冷8気筒エンジン(300HP)を装備し、世界一級の快速複葉機であった。その後、民間に払い下げられ練習機などにも用いられた。
16 1922 甲式2型中間練習機 Nieuport83E2 40 51  甲式1型練習機の次の段階の中間練習機。フランスのNieuport83E2で15機を輸入し中島で40機、陸軍所沢で51機作られた。
18 1923 アブロ陸上/水上練習機 Avro504 250 30  第一次大戦の傑作練習機アブロ504を国産化したもの、陸軍はサンプル輸入のみだったが海軍は中島と愛知に国産させた。
19 1923 ハンザブランデンブルグ水上偵察機 Hansa-Brandenburg W29 160 150  海軍は第一次大戦の敗戦国ドイツからの戦利品のなかにあったハンザブランデンブルグW29を国産化して海軍の水上偵察機とすることにした。戦利品の機体を参考に海軍研究所で図面を起こし、中島と愛知に三菱のヒ式発動機を搭載して生産させた。その後民間に多数払い下げられ幅広く使われた。
20 1924 中島式B6型複葉機 B6型 1  骨組みをすべてジュラルミン製にした。機体はフランスのブレゲー14を参考にした。
21 1925 K1Y2 13式水上練習機 横須賀工廠 40  横須賀工廠の設計だがアルミ浮舟を付けた水上機型は中島で生産された。陸上練習機は川西、渡辺で生産。
22 1925 E1Y1〜3 14式水上偵察機 47  横廠式3座水偵の決定版ともいえる傑作機、横廠の他、中島、愛知で生産。
23 1925 ブレゲー19A2長距離連絡機 Breguet19A2 1  大正14年(1925)の朝日新聞の訪欧飛行で成功した。この機体は中島が朝日新聞社の要請を受け三井物産を通じてフランスから2機を購入し組み立てたものである。このブレゲー19Aは1葉半といった進歩的な構造で抜群の航続力に定評があった。
24 1925 ブレゲー19B2軽爆撃機 Breguet 2  欧州で好評なので国産化しようとしたが高価であきらめた。組立のみ。
25 1925 ブレゲー19B2通信連絡機 Breguet 1  陸軍のブレゲー19B2の払い下げ
26 1925 中島ブレゲー19A2B水上偵察機 1  ブレゲー19A2Bに双浮舟を付けたが採用されず試作のみ。
27 1926 N35試作偵察機 N35 1  ブレゲー19B2の長所を取り入れ試作したが採用されず。
28 1926 丙式1型戦闘機 Spad13C1 96  当時欧州での最大の量産機種で空前の大量輸入。組立てのみ。
29 1927 E2N1 15式1型水上偵察機
(15試水上爆撃機1型)
50 30  中島はハンザ式の欠点を克服すべく、新設計の一葉半の主翼形式とし下方視界の広い機体を開発した。飛行性能も他に比べ格段に優れていたことから中島の機体の採用が決まった。国産初の艦載カタパルト発艦水偵。
30 1927 E2N2 15式2型水上偵察機
(15試水上爆撃機2型)
2  15式1型水偵を複操縦式にしたもの。
32 1927 NC型試作戦闘機 NC 5  振動や強度不足だったが91式戦闘機採用の礎となった。
33 1928 中島式N36型輸送機 N36 2  乗員2名乗客6名の旅客機だが訓練と貨物輸送に使われた。
34 1929 A1N1 3式1号艦上戦闘機 Gloster Gambet 150  日本海軍の本格的な艦上戦闘機である。Gloster Gambet を日本の国情に合わせて改良した。競争試作の結果、三菱、愛知を退け中島の機体が選ばれた。第1次上海事変で日本軍史上初めて空中戦で米国人義勇パイロットを撃墜した。
31 1930 15式水偵改魚群探見機 2  15式水偵を民間に払い下げたもの。
35 1930 A1N2 3式2号艦上戦闘機 100  3式1号艦上戦闘機のエンジン出力増強と金属製プロペラを装着
36 1930 E4N1 90式2号1型水上偵察機 NZ 2  複葉双浮舟だが単浮舟のE4N2を採用。
37 1930 E4N2 90式2号2型水上偵察機 NJ 85 30  米国のボートO2Uコルセア(Vought O2U Corsair)水上偵察機のライセンスを買い取り改良を加えた。わが国では初の単浮舟型だった。性能も操縦性も良く好評だった。
38 1930 E4N3 90式2号3型艦上偵察機 3  E4N2を浮舟から車輪にしたもの。
39 1930 A2N1 90式艦上戦闘機 NY 66  運動性は当時のいかなる外国機よりも優れ、世界一級の格闘性能として認められ九〇式艦上戦闘機として制式名が与えられた。 ここに純粋に日本人設計による最初の艦上戦闘機が採用されることになった。
40 1930 91式1型戦闘機 NC 342 100  陸軍が採用した最初の単葉戦闘機。複葉の甲式四型に代って現われ初めて全金属製の流線型胴体で最大速夏300Km/hを突破した。昭和7年以降10年頃まで主力戦闘機で満州事変に参加したが、相手に戦闘機かなく空中戦は行われていない。
41 1931 スーパーユニバーサル Fokker 47  日本航空輸送株式会社がFokker″スーパーユニバーサル″を購人し.その後中島に於いて国産化し日本の昭和初期の代表的な旅客輸送機となった。陸軍でもこれを輸送機として採用し、特にフォッカー型患者輸送機として重用した。
42 1931 フォッカ―患者輸送機 5  民間のユニバーサルを改造して傷病兵の輸送に使った。
43 1931 ブルドッグ戦闘機 2  組み立てのみ
44 1932 (6試艦上攻撃機)
45 1932 (6試艦上特殊爆撃機) NYB 2  開発中に墜落、中止
46 1932 (6試複座戦闘機) NAF-1 1  急降下爆撃ができる戦闘機
47 1932 A3N1 (7試艦上戦闘機) 1  陸軍の91式戦を再設計したパラソル翼の戦闘機だが海軍の要求に及ばず不合格だった。三菱も低翼全金属応力外皮構造で応じたが結局不採用。
17 1933 K5Y1 93式中間練習機 横須賀工廠 24  我が国最大の生産数5,591機を誇る傑作中間練習機、中島も僅かながら生産した。
48 1933 (7試艦上攻撃機) Y3B 2  空冷エンジン搭載の3座艦攻、三菱と共に不採用
49 1933 (7試艦上特殊爆撃機) 1  6試艦上攻撃機の後継だが不採用
50 1933 キ-4 94式偵察機 333 183  一葉半の近距離偵察機。俊敏な機動性を生かし日支事変の中頃に地上部隊との協同作戦に活躍した。
51 1933 P-1郵便機 E4N3改造 9  日本航空輸送株式会社は夜間飛行のできる郵便専用機を計画し中島に対し8機を発注した。中島は海軍九○式二号水上偵察機3型を改修し夜間飛行のために大型の着陸灯を装着、ラジオ・ビーコンや無線電話を装備した。
52 1933 C2N1〜2 フォッカー陸上偵察機
C2N1 陸上機
C2N2 水上機
Fokker 20  国内民間機として使われていたが好評なので海軍でも採用した。写真撮影や測量、輸送など雑用機として使われた。
53 1933 キ-8 試作複座戦闘機 5  中島の初の片持式低翼単葉逆ガルタイプで胴体も全金属製モノコック構造の意欲的な設計であったが性能は91式戦闘機と変わりが無く安定性も悪く不具合も多く不採用になった。
54 1934 D2N1 (8試1号艦上特殊爆撃機) RZ 2  7試を改良したが安定性が悪く、結局ハインケルHe66を改良した愛知を採用
55 1934 (8試艦上複座戦闘機) NAF-2(AF) 2  複座戦闘機というものが曖昧で三菱、中島とも中止
56 1934 AF-1  8試艦上複座戦闘機払下げ(朝日新聞)
57 1934 91式2型戦闘機  エンジンを換装したが95式戦が登場し少数機のみ
58 1934 A4N1 95式艦上戦闘機 YM 221  運動性と安定性に定評があったが96艦戦の登場に伴い比較的短命だった。
59 1934 E8N1 95式水上偵察機
(8試水上偵察機)
MS 589 48 「海軍あるところ常に95式水偵あり」と言われたほどの傑作機である。運動性・安定性・実用性は申し分なかった。
60 1935 (9試単座戦闘機) PA改 1  低翼固定脚で速度、運動性もよかったが三菱のほうが優れ採用されて96艦戦となった。
61 1935 キ-6 95式2型練習機 Fokker Super Univeral 20  航法、通信等の機上作業訓練用にフォッカー型輸送機を改造したもので、日支事変の末期に少数機が製作されたが、あまり使用されなかった。
62 1935 AN-1 2  キ-11試作戦闘機の払い下げを受け1930年代(昭和10年頃)に新聞社で活躍した高速連絡機。遠隔地での記者の原稿や写真を東京羽田へ。この競争のエースが各社航空機部の高速連絡機だった。
63 1935 LB2(満州航空「暁号」)  海軍向け試作機LB2の払下げ
64 1935 キ-11 試作戦闘機 PA 4  単葉低翼のBoeing P-26に似たスマートな機体だが川崎のキ-10が採用された。
65 1935 中島中型陸上攻撃機 LB2 1  海軍向けに試作したが三菱の96式陸攻が採用された。
39.5 1936 A3N1 90式艦上練習戦闘機 66  90式艦上戦闘機を複座にしたもの。
66 1936 (11試水上爆撃機) 0  三菱と共に試作指示、双方試作せず。
67 1936 B4N1 (9試艦上攻撃機) Q 2  複葉上下翼ともガルという極めて特徴のある容姿。不採用。
69 1936 B4Y1 96式艦上攻撃機
(9試艦上攻撃機)
横須賀工廠 37  制式艦攻初の空冷エンジンで航続力も運動性もよく実用価値が高かった。
70 1936 AT-2旅客機 AT-2 33  DC-2に影響を受け、中島独自設計による開発が始まった。Akegawa Transportを略してATと呼んだ。当初のAT-1はDC-2との競合から実際は製作されず、DC-2より若干小型のAT-2として試作が進められ、AT-2は中島飛行機の中で数少ない自社開発民間旅客機であると同時に、戦前の日本で純粋に開発された唯一の民間双発旅客機。
71 1936 ダグラスDC-2 組立てのみ 6  昭和9年(1934年)日本航空は次期主力機をDC-2とすることとし、中島飛行機に生産依頼を決定した。中島では早速ライセンスを買い受け昭和11年2月試作1号機を完成しそれを陸軍に納入、続く1〜6号機を日本航空に納入し定期航路で活躍した。 しかし昭和13年ころから軍に徴用され迷彩色を施して中国大陸との連絡用に使われた。DC-2は日本の航空関係の近代化におおいに貢献したが、すぐにDC-3が登場したため国内での生産は6機にとどまった。
72 1936 キ-12 試作戦闘機 1  水冷エンジン搭載のモーターキャノン装備の新型機の開発を進め、翌年の1936年10月には早くも試作機を完成させた。発動機はフランスから輸入したD-510と同じイスパノスイザ水冷V型12気筒を採用した。国内初の引込脚を採用し全金属製応力外皮構造の進歩的でスマートな近代的重戦闘機となった。スピード性能は圧倒したが、当時重視された運動性は三菱や川崎には及ばず、また水冷V型12気筒エンジンの国産実用化に目処も無く試作の1機で終わってしまった。
73 1937 B5N1 97式1号艦上攻撃機
(10試艦上攻撃機)
97式1号練習用攻撃機(B5N1-K)
97式3号艦上攻撃機(B5N2)
K 775 475  低翼単葉引込脚の革新的な艦攻で主翼も上方折畳式に変った。日支事変末期から大活躍をしたが中国大陸では雷撃もできず爆撃機として使われた。3号は特に真珠湾攻撃の主力として活躍した。
74 1937 C3N1 97式艦上偵察機
(10試艦上攻撃機)
S 2  固定脚だが折畳み翼で近代的だったが、すぐに現れた97式艦上攻撃機が偵察もできるので試作のみになった。
75 1937 キ-27 97式戦闘機 2,007 1,379  陸軍最初の低翼単葉戦闘機で、本機が参加した最初の戦闘はノモンハン事件でソ連機を相手に大戦果をあげ世界的な名声を得た。その後陸軍戦闘機の主力として活躍し太平洋戦争の初期まで活躍した。
76 1937 キ-19 試作重爆撃機 4  キ-1(93式重爆)の替わりとして試作され陸軍の評価は機体は三菱、エンジンは中島だったが結局は三菱が採用された。
77 1938 D3N1 (11試艦上爆撃機) DB 3  愛知を採用
78 1938 E12N1 12式複座水上偵察機
(12試複座水上偵察機)
2  従来の水上偵察機に比べ飛躍的な高性能だったが操縦性安定性が悪く不採用。
79 1938 キ-43 1式戦闘機「隼」
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U乙
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3,128 2,623  太平洋戦争初期に於ける陸軍の代表的な空戦闘機。開戦と同時に全域で活躍。戦局の変化に伴い戦線は縮小し終戦時には沖繩作戦に特攻機として参加した。戦争の全期間にわたって、最も長く、最も多く使われた戦闘機として有名である。
80 1938 キ-21 97式重爆撃機 三菱 351  陸軍の重爆としては最も長く最も多く使用された。最初はノモンハン事件で活躍し、その後支那大陸各地の長距離爆撃から太平洋全域で各爆撃に活躍し大きな戦果をあげた。しかし戦争中期より、敵戦闘機による被害が増した。、ニューギニア作戦頃より本機の活動は次第に制限され、三菱の設計だが中島でも251機製造された
81 1938 キ-34 97式輸送機 AT-2 19 318  引込脚、可変ピッチプロペラを採用した日本製最初の近代的な輸送機で、民間で中島AT-2と称していたものと同型。日支事変から太平洋戦争の全期間にわたって、主として支那大陸、満州及び内地で使用され、落下傘部隊の輸送にも活躍した。
82 1938 L1N1 中島式双発輸送機(キ-34) AT-2  AT-2を海軍で採用したもの、陸軍の97式輸送機と同じ。
83 1939 キ-49 100式重爆撃機「呑龍」
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746 50  実用性能はあまり良くなかった。昭和18年夏のオーストラリアのポートダーウィン爆撃で初めて名をあげ、次いて比島作戦が有名である。比島方面では米軍の上陸作戦に対して菊水特攻隊の主力として全機敵艦隊に突入し、華々しい最期をとげたといわれる。
84 1939 中島19型長距離通信機 1  不採用のキ-19の1機を同盟通信社が払い下げを受けた。
85 1940 キ-44  2式単座戦闘機「鐘馗」
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1,227  本機は防空専門の高性能機として主に内地の防空部隊に使われた。当初ビルマに進駐したが防空戦闘機としての活躍の機会に恵まれず、昭和17年4月に、B-25の内地初空襲があり東京防空のため帰還、東京近辺の飛行場に配置されB-29に対する迎撃に活躍した。
86 1940 G3M3 96式陸上攻撃機 三菱 412  Junkers Ju86のコピーのような機体だが太平洋全域で活躍した。中島でも生産に協力した。
87 1940 キ-58 試作掩護戦闘機 キ-49を改造 3  爆撃機編隊の両翼に位置し敵戦闘機に備えることを考えた。
88 1941 A6N1 12試艦上戦闘機 設計辞退  0 三菱の零戦を採用
89 1941 キ-80 試作多座戦闘機 キ-49を改造 2  爆撃機編隊の先頭に位置したが「隼」が完成したため試作のみ。
90 1941 G5N1〜2 陸上攻撃機「深山」
(13試大型陸上攻撃機)
LX 6  海軍最初の長距離用四発陸上機で、輸入したダグラスDC-4Eのデッドコピーともいえる機体だが性能は非常に悪く、少数機が魚雷運搬用の輸送機として使われたにすぎない。
91 1941 A6M5 零式艦上戦闘機
(12試艦上戦闘機)
三菱 6,545  有名な零式艦上戦闘機は1万機以上生産されたが6割以上は中島で生産し、エンジンは総て中島製だった。
92 1941 L2D2 零式輸送機
L2D1
L2D2
L2D3
L2D4
L2D5
Douglas DC-3
71  中島での生産は71機だが昭和飛行機を含め416機作られた。
93 1942 A6M2-N 2式水上戦闘機
(15試水上戦闘機)
AS-1 327  零戦に浮舟をつけて水上戦闘機としたもの。アリューシャン群島、ソロモン群島方面で、水上偵察機とともに活躍したが、その期間は短かった。
94 1942 J1N1-R 2式陸上偵察機
(13試陸上双発戦闘機)
G 477  夜間戦闘機「月光」の母体
95 1943 キ-84 4式戦闘機「疾風」




3,355  戦闘機王国中島最後の決戦型戦闘機。昭和19年8月に初めて中支に出動した.のち飛行第22戦隊は比島に転進し、他の四式戦部隊とともにレイテ作戦に従事した。しかし発動機と脚に関する故障が続出し、実働機数は少なかった。特に小型と強馬力で世界に誇った中島ハ-45発動機は油洩れが多く、これが性能上命取りとなった。終戦近くには沖繩作戦にも参加し、対地攻撃にも活躍したほか、内地防空部隊にも加わりB-29や敵艦載機の迎撃に活躍したが及はなかった。
96 1943 B6N1 艦上攻撃機「天山」
(14試艦上攻撃機)
11型
12型
12型甲
13型
BK 1,268  九七艦攻に代って、太平洋戦争の中頃より使用され第一線の主力として出動した。戦争末期には航空母艦の不足と、乗員の質の低下から、本来の高性能を充分に発揮することができなかった。
97 1943 C6N1〜3 艦上偵察機「彩雲」
(17試艦上偵察機)
N50 398  敵戦闘機の追随を許さぬ高速艦上偵察機として設計されたが、空母もなく主として陸上を基地として活躍した。設計は非常に優れていた。
98 1943 J1N1-S 夜間戦闘機「月光」11型
(13試陸上双発戦闘機)
11型甲(j1n1-Sa)
21型(J1N2)
23型(J1N3)
486  当初は陸上攻撃機掩護用の双発長距離戦闘機として昭和13年に計画されたが日支事変には間に合わず、太平洋戦争初期にに陸上偵察機(J1N1-C)として採用された。のち再三転身して敵重爆迎撃用の夜戦となり、戦争末期にはB-29迎撃に夜戦「月光」で名をあげ、最後には爆装して比島、台湾、沖繩各方面に敵艦隊を求めて出動、特攻機としても活躍した。
99 1944 J5N1 局地戦闘機「天雷」
(18試局地戦闘機)
N20 6  敵夜戦よりも高性能の双発戦として、中島の最高技術を集結して試作され、B-29に対してもゆうゆう迎撃できる計画であったが工場被爆等のため量産に到らなかった。
100 1944 G8N1 陸上攻撃機「連山」
(18試陸上攻撃機)
N10 4  海軍が4発の高性能長距離攻撃機として試作した中島最後の傑作として知られ、非常な高性能であったが資材の不足から生産が中止されていた。。
101 1944 P1Y1 陸上爆撃機「銀河」
(15試陸上爆撃機)
11型
11型甲(P1Y1a)
11型乙(P1Y1b)
11型丙(P1Y1c)レーダー付き
12型(P1Y4)
13型(P1Y5)
14型
横須賀工廠 1,002  海軍空技廠の最高技術を結集して15試陸爆として昭和18年に完成し、高性能に大きな期待がかけられたが生産及び整備の困難から実用性は良くなかった。陸上を基地とする唯一の高速爆撃機であった。夜戦「極光」の原型でもある。
102 1945 キ-87 試作高高度戦闘機 1  陸軍は中島に対し高々度対爆撃機用戦闘機の試作を命じた。中島はキ-87の開発が始められたがターボチャージャーの開発がうまくいかず試作のみ。
103 1945 キ-113 試作戦闘機 2  キ-84の鋼製化
104 1945 キ-117 試作戦闘機 0  キ-84の木製化計画のみ
107 1945 特殊攻撃機「橘花」 1  ドイツのMe.262ジェット戦闘機の資料を基に中島で国産した。エンジンはBMW003を参考にしたネ-20を装備して初飛行は成功したものの2回目は滑走路端に突っ込み失敗しそのまま終戦を迎えた。失敗の原因はRATOの推力線のズレと離陸なのにフラップの降ろし過ぎ。
108 1945 キ-115 特殊攻撃機「剣」

103  離陸直後に脚は投下されるので帰還や不時着は考えない自殺機。本上決戦に備えて生産行中に終戦となり実際には使われなかった。海軍でも「藤花」として採用する予定であった。
105 xxxx キ-201 試作戦闘攻撃機「火龍」 計画のみ 「橘花」を陸軍で採用する積りだった。
106 xxxx G10N1 長距離爆撃機「富嶽」 計画のみ  米本土爆撃を夢見た6発の超大型爆撃機。
109 xxxx キ-101 試作夜間戦闘機 計画のみ
110 xxxx キ-13 試作襲撃機 計画のみ
111 xxxx キ-16 試作輸送機 計画のみ  DC-2の国産化を計画したがDC-3が登場したので中止となった。
112 xxxx キ-31 試作軽爆撃機 計画のみ
113 xxxx キ-37 試作複座戦闘機 計画のみ
114 xxxx キ-41 試作輸送機 計画のみ
115 xxxx キ-52 試作急降下爆撃機 計画のみ
116 xxxx キ-53 試作多座戦闘機 計画のみ
117 xxxx キ-62 試作重戦闘機 計画のみ
118 xxxx キ-63 試作軽戦闘機 計画のみ
119 xxxx キ-68 試作遠距離爆撃機 計画のみ
120 xxxx キ-75 試作多座戦闘機 計画のみ
121 xxxx キ-82 試作重戦闘機 計画のみ
122 xxxx キ-85 試作遠距離爆撃機 計画のみ  海軍の「深山」を陸軍でも採用を考えた。

中島飛行機で生産された機種。
 海軍機 65機種(内23機種は試作のみ)
 民間機 21機種(内 9機種は試作のみ)
 陸軍機 40機種(内14機種は試作のみ)
   計126機種(内46機種は試作のみ)
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